akiの自由なブログ

40代会社員男性のひとりごとを書いていく

一人哲学対話の続き

きのうはどおも

時間がなかったのでブツッと終わりました

 

池田さん

いえいえ短くともある無しの問答はなかなかおもしろかったですよ

 

そうなんですよね

でも行き着く先は結局分からないだからなんだかんだ実は何も話していないと等しい

 

池田さん

毎回同じ着地になるけどその道中改めてとか新しい発見とかもあるでしょ

その気付きのたびにあーってなるのが楽しくてしょうがない

だから同じことでも何度も考えてしまう

 

そのあーって表現がとても好きなんです

無敵のソクラテスソクラテスさんが年配の男性とそのお孫さんと話している中であーって表現を多く使っていました

そのあーって感覚が私はすごいしっくりきて

考えて考えて行き着いた先にはいつもあーがあるんです

 

池田さん

そのあーって多分「あーそうだった」と「あーあ」の2つが混ざっていると思っている

最初のあーは気づき

あとのあーは結局そうだよねっていう

そのあーが考える好きにはたまらなく楽しいんだと思う

 

すいません

実は今回は話してみたいことがあるんです

面白いですよあるんですから

あるを知らないくせにあると言っているなんてこんなにおもしろいことは無いです

 

池田さん

また脱線してますよ

あるのであればとりあえず出してみましょう

 

失礼しました

この話の出処は知りません

どっかの学者さんが提唱した考えなんですがすごいしっくりというかわくわくというか

言葉の定義が難しいですがこの世界なのか宇宙なのかここなのか

とにかく細かい粒子で埋め尽くされていると

それはものも空気も人間も私自身の体も

わかりやすく説明すると4×4のオセロのマスがあります

それが宇宙です

その宇宙はオセロのコマ?16個で埋まっています

私は右下の端っこのマスにいる白いコマです

それ以外の空間をまあ空気が入っているとしましょう

空気はすべて黒いコマです

私が右端から左端に移動する場合感覚的には私という白いコマが他の黒いコマを押しのけて進み私がいた空間に黒いコマが流れていく

でも提唱された考えはそうではないと言っている

私が移動する場合瞬間的に私という白いコマが黒い面になり移動先の黒いコマが白い面の私になる

今はシンプルに一つのコマで表現したので空気がそのまんま私となってしまっているけど私という体を作り出しているのはとんでもない数の粒子?というか粒というか原子というか

ここらへんの細かい言葉のチョイスはご容赦ください

考えに興味があるだけで小難しい正しい言葉まで覚える気がなかったもんで

とにかくその莫大な粒が移動のたびに私の意志に合わせて瞬時にひっくり返って私が移動したと思わせてくれる

もうこの考えの引っかかりどころが満載すぎて

まず私の意志がやはり現実を作っているというところ

次に量子力学量子テレポーテーションがその瞬時のひっくり返りを行っているのではないかということ

そして私とはという問答で必ず私とはどこにあるのかが結局わからないし無いんでないのとなる

まさにこの考えそのもので私というものはやはりないんだ

だって移動するだけで次の瞬間には元私だった粒子とは別の粒子が私を構成する

だから私は無い

別の言い方をすれば私はある全体が私で全てが私宇宙が私なのだ

こんな面白いことありますか

 

池田さん

そうそう

科学者のみなさんが色々なことを証明していくたびに思う

私が考えていたことがそのまま証明されていると

わたしなんてないというのがどうもそうらしいと証明されつつあってあーやっぱりね~って

本当にそういった学者の皆さんには頭が下がるよ

だって証明するためにはとんでもない数の実験をやって計算して他の皆が納得できるように論文とかを作り込まなきゃいけないんだもの

私達はそれを頭の中で勝手にやって楽しくなっちゃう

こんなに簡単なことはない

勝手に考えて頭の中で回答を出して答え合わせはやってくれている

そして結構合っている状況になるととてつもなく嬉しい

全体が私と考えた場合遠い宇宙の銀河のあの星雲も私

好きでハッブル宇宙望遠鏡の写真集をよく見るけど視るたびに神秘的な気持ちになる

それってなにか懐かしい気持ちにも似ていて多分遠い銀河の私を見ているから懐かしい宇宙の記憶がそんな気持ちにさせるんだと思う