akiのブログ

40代会社員男性のひとりごとを書いていく

読書について

図書館によく行く。

ボードゲーム会とかそこの施設でやっていたりするから集客のヒントが落ちていないかとか、本での調べ物とかトイレとか。

んでせっかくだから使い倒すためにレンタルカードも作成してみた。

きのういい塩梅のコーヒー屋を発見し塩梅の確認のため今日も行くつもりだ。

そこは勉強とかPC作業とか禁止にしているため本を読もうと思った。

とりあえず図書館でなにか借りて読むことにした。

おー各施設の相互作用がやばいな。

金の知識をもっとつけたいと思いそれ系の本をレンタルして読みに行く。

機能ちらっと読んだんだがあーあかん。

多分マルクス資本論のことを池上彰さんが噛み砕いて書いた本。

(どうでもいいけどマルクスは呼びつけで池上彰さんはさん付けに自然とした。同じ人間でなおかつ面識もないのに。片方は外国の人でなおかつ故人。もう片方は日本の人でまだ生きてますよね。同じ人種でない的なよくわからん偏見と故人というところがもうちょい言うと動いている状況を見ていない所がマルクスをキャラクターにしてしまっているのか。キャラクターだとなぜ呼びつけなのか。なぜ下に見ているのか。作られた感じだからか。でも俺も作られているな。てかアニメのキャラでも呼びつけは実は変じゃねーか。多分作られた感が高いから意志やら魂やら自分やらはないでしょって下に見ているのか。でもみんな他人の意思があつのかもしくは哲学的ゾンビなのかはわからんぞ。ってことは下に見る理由がなくなるな。全部のそれっぽいものにさんをつけなきゃだめではない。呼びつけもいいでしょう。差別や区別していることがあかんでもない。ただなんでその差を生んでいるのかってことだな。)

 

あーだめだ。

元来の活字アレルギーと資本論ってこうだよねとか興味があまりにもなくあくびが出る。

金を儲けるために今自分が置かれている資本主義ってやつを知ろうとしたがつまんねー。

なんでつまんねーのだろう。

今のところ繋がらねーんだよな。

自分と。

いやいや置かれている環境そのものを話しているから繋がらないなんてないだろうと突っ込みたいが実は俺は資本主義という物の中で生活していない。

一体資本主義ってのはどこにあってどういうふうに俺を含んでいるのやら。

資本主義はこれですって見ることも触ることもできないんだもんな。

そういうわけで何も繋がらんからあーって感覚が出てこない。

まあ今のところ2ページくらいの触りしか読んでないからもうちょい読んでいくけどね。

なんて言ってもお気に入りのコーヒー屋で読書をしてなんだかインテリ的でアーティスティックな俺かっこいいと思うための一大イベントだ。

そこまではやるぞ。

もしかすると読み勧めていく中であーってなることが有るかもしれん。

そうそう欲しいのは魂の構えの形が知りたいってとこか。マルクスさんと池上さんに聞いてみよう。

大きな音や感情への反応について

たまに理不尽臭いことで店員さんに怒ってバタバタ音を立てているという現場に遭遇する。

先に断るがそういうの良くないよねーとかそんなことを言いたいわけではない。

他人に対してそんなに興味がない。

その人がどうしていようがどうでもいい。

そんなに優しさもない。

自分や自分の周りの人に害悪が及ばない限りはどうでもいい。

そもそもそれって良くないっすよみたいな事も基本は言えないしね。

微妙なことの場合強い根拠がないからね。

 

言いたいことはここからでなんだか面白かった。

私は自称HSPと思っている。

まあでもあくまで自称。

検査受けたこともないし思い込んでいる可能性もある。

そのことの正確さは一旦置いといて仮にそうだとしてで話す。

そこでもなんだかそれっぽい反応をした。

まず音に対してビクッとするし内部的にストレスを感じた。

なんだろうと見ると多分怒っている。

それを確認してなんだかそっちを見ていたい衝動に駆られた。

予想ではまずは必要以上にビビっている。

あーやだ、なんだかな。

んでそっぽを向いているとビビっているのを悟られるような感覚に駆られた。

だから見てやろう。

おいあんたのことを見ているぞ。

おれはビビっちゃいない。

俺は正義の鉄槌をいつでも振り下ろせるんだぜッと言う見栄とか自己顕示欲の維持とか負けないぜみたいな正義の味方の押し売り。

何だこりゃ。

感情は暴走しているが思考がブレーキをかけてとどまっている状態。

予想だけどずっとそういう他人の感情にビビっていたから俺はそんなんじゃないと払拭しようとしているんじゃないかなと思われる。

いやーでもしゃあないんだけどな。

そもそも白黒つくことなんてなかなかないし。

てか敏感なくせに更に外的刺激を受けに行こうとするのかよ。

変だな。

結局何かでバランスを取ろうとしているのかな。

根底にある自分へのイメージやアイデンティティがその状況を許さず強い人間を保とうとする。

でも根本が弱いからそんなん無理なんだけどな。

歪なアイデンティティでバランスを保とうとするから結局バランスが悪い。

あーめんどくせ。

 

これ書いている今、この記事大丈夫かとも思っている。

たいして人が見ているわけでもないしなんなら誰も見ない可能性もある。

でもなんか正義を語っているように感じさせたり、そもそもこんな内面的な事書いてもいいのかって。

どうしよう投稿していいんだろうか。

やっぱり敏感だな。

あほらしい。

投稿しちゃおう。

質問力について

タロット占いを始めて一日一占いをノルマにしている。

んでうまく言ったと思うときもあればそうじゃないときもある。

その傾向は具体的な質問まで落とし込めるかが一つの要因だと思われる。

週末なにをすればいい?

やりたいことの候補はありますか?

服を買いに行くかサウナ。

なぜどちらかえらべないのですか?

どちらも同じようにやりたい。

ではやったことでどのようなじょうたいになればいいですか?

嬉しくて高揚した状態・・・・

 

とか。

これやってもだめな時があるしそもそも出たカードがそのこととうまく結びつかなくてナンノコッチャとなっているときもある。

でも具体的で能動的というのは答えやすくなる要因だな。

そのためにも質問力を向上させたい。

質問力ってクリティカルシンキングなんだなと気づいてうへーとおもった。

なんだかいろんなことがいろんな時に結びつくんだよな。

元来人と話すことが嫌で興味がないため質問ができないなと今更ながら気づいた。

こうしたいんだよーと言われてもお好きにどうぞと思っちゃっている部分がある。

そうそう話が終わっちゃう。

あーなるほど。

解決しようとしなけりゃいいのか。

ただ聞こう。

質問されても俺が解決しようとすると俺の中では興味がないという形式を取ってそれは解決しているから言葉が出ない。

なので聞いてみよう。

それでそれでと。

興味はないが興味がある人を演じればいい。

出てきた答えの中から何らかの糸口が出る可能性もある。

そこまで来ると俺のでたらめな感性で珍回答はできそうだ。

 

占いをやる中で面白く感じたが答えを出した時にしっくり来てもしっくり来ていなくても双方で感情が共鳴している感覚がある。

俺がしっくり来る答えを伝えると相手もあーってなっているし。

あんまし自信がない回答とりあえず言ってみたものだとうーんってなっている。

タロットを通してなのかタロット占いという形式を通してナノカしらんけど赤の他人の理解できるわけない感情がこのときだけはわかる気がする。

へんなの。

コミュニケーションってつまりこういう事なのか。

完璧でなくても相手を思いあいてに同調しようとする。

あー悩み相談と違うのは偶然出た誰の考えでもないイメージで一緒に考えて話すからだ。

親身になるって同じ目線に立つことだ。

相談されると同じ目線じゃねーや。

なんだよすげーなタロット占い。

 

盆栽について

盆栽をとりあえずやってみた。

正確には真似事。

まずは盆栽が売っているところを探したがそれはなんか違うなと。

それ俺は勝手しかいない。

ほぼ何もやってない。

だからそれっぽいものを一から作ることにした。

小さいガジュマルを育てていたのでそれを中心の木に見立てて盆栽感を出そう。

そのために必要なのは土と苔と大きい器。

器は百均で売っていた。

最近の百均はなんでもあるな。

土は公園で取ろうかと思っていたが考えたらそれって法律的に不味くね~かと思い調べたら案の定だめだった。

そりゃそうだよなと思う反面土すら自由に取ることができねーのかとなんだか変な気分だった。

とりあえず植物屋にいって購入。

苔も土も値段が付いている。

 

必要なものは揃ったのでガジュマルを植え替えて土を盛りその上に苔を敷き詰めた。

おーなんだかいい感じ。

進撃の巨人のエレンの木を思い出した。

いやそれはよく言いすぎだな。

ガジュマルが小さすぎて本体がほぼ埋まっちゃっているし。

 

少しの間愛でて行こうと思う。

ここに手を加えていくんだろうけど何をすりゃいいんだ。

そして盆栽とは何か?

一つの盆の中に自然の情景的な物を表現するものらしい。

今回は草むらに立つ一本の木といったところか。

そのまんまだな。

木を矯正して風に吹かれる様とかも表現するらしいから気が長い趣味だ。

とりあえず真似事はできたので良しとしよう。

ハッブル宇宙望遠鏡について

ハッブル宇宙望遠鏡の遠くの銀河をとった写真がいいと思ってきた。

知り得た状況は池田晶子さんの本を読んで。

それを見るのが好きということだった。

それはわかんねーなと思っていた。

 

最近になりなんというか不思議な言い方になるが自分が自分に収まった体験をした。

厳密に言うともとからそうだけどよく言う悩むという状況はそのことを忘れさせる。

あーこういうことかと思えた。

んで銀河の写真を見るとなんとも自分に収まる感覚になる。

見ていると神秘的でなんでこんなもんができたんだろうとか何故有るんだろうとかそもそも何故と思う自分はなんなんだろうとか思う。

言葉尻だけをとると神秘的が最終的に自分とはに繋がってくる。

神のようにわからないことだらけがすなわち自分となってくるなんて何たる不思議。

距離でみたらとんでもない距離がある遠くの銀河で、生まれる時代が時代ならそんなもんは見ることも考えることもないわけで。

そんなよくわからん代物を見ると自分に繋がっていく。

自分がよくわからんというのがよくわかった。

何もわかんねーというのもよくわかった。

ゲームマーケットについて

ゲーム会の人員を増やすためにゲームマーケットに参加しようと思っていたが前言撤回。

やめる。

金はかかるけどいいと思っていたがその前にやれることがあった。

もっと地道だな。

その地道な方をやってその先にゲムマ参加もあるかもしれないけど今は見送る。

複利の1%について

あー気付きがあった。

複利の1%はずっとやっていたという気付き。

毎日1%向上すれば一年後には元の32倍?になっているという話。

なおかつ最初は結果は出にくいけどある地点から一気に向上するという話。

ブログも筋トレも占いももしくは新しいことに関してスピード感を持ってやるということもなんかへこたれる気持ちがあった。

別に何か結果がでて成果が出てというわけでは今はないから。

でも向上する人はその伸び悩んでいるときもやり続けられる人だという。

つまりそのちょっとの一歩が複利の1%なんだな。

今日からタロットの勉強を100日で行うことにした。

結果全部のカードを把握して形式的な占いができるというのをゴールとした。

それと1日1占いをノルマとした。

これが1%なんだな。

なにもないけどでも俺は刻んでいた。

あー大発見。

すでにやってんじゃん。