私
哲学対話を書く際はなんか思いついた時に書いています
ふと思ったんですがそれだと自分の中にあるものになってしまう
だから今回は全く何も無い状態でこの記事を書き始めました
庵野さんが言っていたみたいに自分の中以外のところから情報を引き出して面白い画を取りたいってやつです。
池田さん
なるほど面白そうね
それで何を話したらいい
私
それすらなにもないです
なので本当にさっきちょっと思いついたことなんですが残酷人生論を買わせていただきましたがなぜか見つかりません。
今は捨てた覚えがないのですが
そこでなんですが人生ってそんなに残酷なんですか?
池田さん
とても残酷だと思うわよ
でもそれは人生の捉え方によってしまうところもある
人生とは何だと思う?
私
私にとっては私が生きて死ぬまでのあ~だこ~だが人生だと思います
池田さん
寝ているときも?
私
うーん難しい
それを人生とするのはなんか変な気がします
確かに生態活動をしていて寝ることで体のコンディションを整えているんでしょうけどそれは人生とは違うような
意識して生態活動をしているとき全てが人生といったところでしょうか
だって夢を見ている以外の寝ているときは全く意識していないので
生まれてすぐに寝ていて死ぬ10分前に起こされて
「あなたは70年間ずっと眠っていました。あと10分で死にます。これがあなたの人生です。長い人生でしたね。」
と言われても何がな長かったねだと
俺の人生ってどこにあったんだよと納得できないですね。
池田さん
ということは人生はあなたの意識ってこと
私
そうなりますね
池田さん
あなたはあなたの人生があなたの意識ということは意識していた?
私
うーん今の今までしていなかったですね
池田さん
そうよね
人生は良いものと悪いものどっちにしたい?
私
もちろん良いものですね
池田さん
それは良いものが悪いものより良いものだからってことは認める?
私
もちろん
良いほうが良いです
悪いほうが良いというのはなかなかマゾっ気がある考え方です
でも悪いものをいいものとして捉えているので結局その人にとってはいいものなのか
いい悪いはその人によってカワルンだな
それも踏まえて結局良いほうが良いですね
池田さん
ではその良いものがあるのとまったくないのではどちらがいい?
私
もちろんあったほうがいいです
池田さん
ではその良いものがあると思うためにはどうすればいいと思う?
私
あーない状態がないとあると思えませんね
ずっとあるものはあるとは思えない
だってずっとあるからもう自分と同化してしまっている
それはあることに気づけ無い
池田さん
ねー残酷でしょ
①人は良い人生をおくりたい。でもその人生が何かと気づけていないほうが多い。おくりたい人生をそもそもなくしている場合がある
②良い人生を送るためには悪い人生も送ろうとしなければならない。だから無意識に悪い人生を送ろうともしている
こんな矛盾が含まれる仕組みが人生を送るということ
だいぶ残酷だと思うけどね
もちろん残酷だから絶望しているわけではない
ただそうだと捉えられただけでだいぶ面白いわよ
わかり得なかった悪い人生からわかることができたいい人生を送ることができたんだから
まあ結局それでも全てはわからない
では人生である意識とは結局何?
意識をしている私とは結局何?
そもそもその人生を内包している生きるとは何?
私
ありがとうございました
人生はどうやら残酷みたいですね
結局わからんので
わからんまま死んでいく可能性が高いのがまた残酷ですね
でもまあやり切っていないのでわかる可能性はまだあります
逆転満塁ホームランを日々狙ってしまう気質なんでまだまだ退屈せずに済みそうです
池田さん
やだ奇遇ね
私もそうなのよね