先日ボドゲ会を行い色々思った
人数が多めでなおかつルール説明ができるのが俺だけなので軽めのゲームで卓をわけたり大人数でできるパーティ系のゲームが中心となった
ボードゲーム界隈では結構有名なITOをやった
1ー100までの数字が書かれたカードがランダムに配られてその数字をでたテーマの言葉だけで周りに伝える
そんでそれのみで順番に数字を並べる
テーマは例へば「人気のあるご飯のおかず」
100は人気があるし1は人気がない
これを例へば30とかでやるわけだ
俺の中では100は生姜焼き 1はコーヒー
(コーヒーがそもそもご飯のおかずなのかってとこは許してちょうだい。ご飯のおかずにコーヒー出たらやでしょ)
30はなんだろう焼きピーマン味付けなしかな
こんな感じでお題のみでやつは俺より大きい数字っぽいとか考えて皆で数字を並べる
協力して達成する感じのボドゲ
そんでこれの面白さは年齢性別地域などで価値観が当たり前のように違う
価値観の違いを面白がるゲームだと思っている
そんで何度かやると価値観の違いがわかってきて他の人の価値観に合わせるようにしてくる
そうやって達成できたときの喜びは実はすごく強い
俺はボドゲ武闘派だと思っているのでパーティゲームノリは好かんというスタンスを取っている
そんな俺が実は楽しくプレイしているのは口が裂けても言えない
ともかくこれはパーティゲームで達成も目指すが比較的道中楽しくコミュニケーションを取れるというところがいいところだと思う
そんな中あるお題をやったときに皆の答えに偏りが出た
テーマの中に更にテーマができたというか
人気のあるおかずというときに俺外全員ドイツの人でドイツの郷土料理で言ってきたみたいな感じ
「きみー40はaaaaなの」とか「96でcccccはないよ」とかドイツの皆さんで話している
そんな感じで偏った側はおーここらを知っているのねと意気投合して楽しくなる
でも偏られた側はわかんねなんやねんとちょっと嫌な気持ちになった模様
ここでふと思った
あれこれってただ楽しむだけのゲームではないのか
価値観の違いをぶつけ合って面白いと思うゲーム何じゃないのか
ちなみにおれは偏ったがわだった
でも偏られた側だとしてもなんだよそれら分かんねーぞと言いながら俺の価値観をぶちこむ
ドイツ料理の中にひじきの煮つけをぶち込むわけだ
ひじきの煮つけをぶち込むなんて闇鍋だな
そんで答え合わせしたときにそのすり合わせが面白いと思うってだけ
もちろんその時の偏られた側の真意は分からないし俺も絶対そうだとは言えない
簡単に言えばなんでそこをまじで捉えちゃっているのと思った
一応ゲームを舐めているわけではなくそういうのも含めたゲームだと思うからだ
そんでふと思ったわけだ
あーこれも結局俺の価値観だ
俺は偏られても多分おもしれーと思うだけ
でも偏られてちょいと嫌な気持ちになるという価値観も有るわけだ
なるほどこれも含めてITOの醍醐味というわけだ
極論その延長線上は仲悪くなったり喧嘩になったりがある
それをいかに回避もしてなおかつ理解を深め合う
相互理解で価値観の違いを超えていく
ソフトアンドウエットごービヨンド
対話型お題達成型のゲームの深さを意図せず感じてしまった
ボドゲは深いぞ