理解するのは難しい。
理解するのは理解したいそのひとが理解しないとしゃあない。
理解させるのは不可能。
理解するのはその人だから。
結局自分で理解せにゃならん。
そういや理解ってなんだ。
筋道を探ること。訳を知ること。
では知るとはそのことの存在を認めてこうだと掴むこと。
こうだと掴むとは形があるみたいだな。
その形はどこにあるのか。
自分の中か。
自分のなかにあるならわざわざ掴む必要はないような。
自分の中にあるようにするということがすなわち掴むなのか。
では内包したその自分とはどこにあるのか。
自分の中か。
じゃあその自分はその自分を内包する自分はどこにあるのか。
ここらへんからよくある自分の因数分解が始まり結局分解しきれねー。
てか分解するそもそもの自分がなくないすかみたいになる。
こうなると面白い。
すべてを無価値にできたり逆にすべてを価値あるものにできたり。
もう自由自在。
仕事がーとか金がーとか。
えーどうでも良くないスカ。
だってそうであってほしい自分自身があるんだかないんだか。
わかっていることと言ったらその自分はあるっぽいと錯覚かもしれないが感じていて少なくとも今はそんな感じになっていられるみたいだなってぐらいか。
あとはえげつないくらいに何もわかんねーってことかな。
くだらないこだわりがあるので自己満のために書くがみんな違ってみんないいとか悩む必要なんてありませんとかのクソみたいなお慰めをして俺はみんなの幸福のためにこのブログを書いていますと自己肯定感を得たいわけではない。
違う違う。
ただそうみたいだよということ。
よくこういうことを考えちまうから。
そういうのを考えると面白くて世界やら宇宙やらアベンジャーズやらウルトラマンやらマジンカイザーのカイザーノバやらなんでもよくてそれらすべてが自分であるってことでいいとなるとあーってなるだけです。
このあーがたまらん。
このあーが理解することだったり自分だったりする。
ここにある臭いんすけどお見せはできません。